2013年03月27日
アントニーニ SOS ARA

カヤックを買う前から気が早いのですが、実は偶然にネットで目にしたセール情報で、半額以下の値段を発見!!
池袋でのフットサルの前に赤羽まで足を運んで、購入しました!!
ドライバーセットも付けて¥7,800!!
確か定価では2万弱する商品だったかと思う・・・
いい買い物したぜ~!
ナチュラムで検索したら同一商品はヒットしなかったから、別の商品でアフィリエイト付けておきます。
自分の命のためですからね、皆さん是非ご購入下さい。





2013年03月25日
パシフィコ横浜
Japan Fishing Festival 2013
バイキングカヤックも出展していることを知り、初来場して来ました!仕事が重なったため、最終日24(日)の夜勤前の午前中のみ。
まずは他には目もくれずにバイキングカヤックのブース
スタッフの方が丁寧に説明・質問にも回答して下さいました!
その会話の中で知ったこと・・・逗子シーカヤックスクールで試乗http://satoshi2011.naturum.ne.jp/t1623405したことを話したら「いいスクールを選ばれましたね!」と・・・?
校長はなんと、日本で唯一のACA(アメリカンカヌー協会)の公認インストラクターだそうで、担当して下さったインストラクターも2人目として続こうとしている方だとか
確かな技術を持った方の指導を受けることができていたことに嬉しくなりました
その後は事前に目星を付けていたブースを中心に散策・・・必要なカタログは遠慮なく頂いて来ました。
普段のPCだけではお目に掛かれない情報もあったし、迷いながらも行ってみて良かった
そういえば「伊南川」の文字をみつけて覘いてみたら南会津の漁業組合だった。
「福島出身です!」と入って行ったら訛ったスタッフが優しく応対してくれた。
銀山湖とか・・・いつかカヤックでのレイクトローリングしてみたい
そんなわけで持ち帰ったカタログを整理して、次の休みにはカヤックフィッシングに使える物を発掘する!!




バイキングカヤックも出展していることを知り、初来場して来ました!仕事が重なったため、最終日24(日)の夜勤前の午前中のみ。
まずは他には目もくれずにバイキングカヤックのブース

スタッフの方が丁寧に説明・質問にも回答して下さいました!
その会話の中で知ったこと・・・逗子シーカヤックスクールで試乗http://satoshi2011.naturum.ne.jp/t1623405したことを話したら「いいスクールを選ばれましたね!」と・・・?
校長はなんと、日本で唯一のACA(アメリカンカヌー協会)の公認インストラクターだそうで、担当して下さったインストラクターも2人目として続こうとしている方だとか

確かな技術を持った方の指導を受けることができていたことに嬉しくなりました

その後は事前に目星を付けていたブースを中心に散策・・・必要なカタログは遠慮なく頂いて来ました。
普段のPCだけではお目に掛かれない情報もあったし、迷いながらも行ってみて良かった

そういえば「伊南川」の文字をみつけて覘いてみたら南会津の漁業組合だった。
「福島出身です!」と入って行ったら訛ったスタッフが優しく応対してくれた。
銀山湖とか・・・いつかカヤックでのレイクトローリングしてみたい

そんなわけで持ち帰ったカタログを整理して、次の休みにはカヤックフィッシングに使える物を発掘する!!




2013年03月21日
シーカヤック体験!!
3/20(水)
逗子シーカヤックスクール~!!
PCと向き合って妄想にフケっていても何も始まらないわけで、実際に体験してみようと思い、スクール受講して来ました!!
事前に申し込みのメールにてカヤックフィッシングに興味を持っていること、バイキングカヤックのnemo2+1に興味があることを伝えたら、希望通りの艇を用意して下さいました!!
時間に余裕を持って行ったため、他2名の受講メンバーを待つ時間があり、バイキングカヤックのカタログでカスタム等について説明して頂けた。
それからパドリングのテキストで予習・・・
2名のメンバーの方が到着し、簡単なミーティング・・・カヤックはタイプもわかれているけど、そもそも用途が様々で、1名はツーリング?1名はサーフィン?が最終目標のようなことをおっしゃっていた気がします。
自分はフィッシングであることもインストラクターから紹介して頂きました。
2名はスクールの会員?のため何度か経験があるため、完全な初心者は自分のみです。
海岸でパドリングの基礎の説明を受けて、いざ出廷!!
出廷場所はウインドサーファーたちが大勢いて、激混みのゲレンデで初心者スノーボーダーが木の葉滑りをする時の緊張感に似ていたと思う・・・
更に沖方向からの強風を避ける目的もあり、近くの港方向へ移動して練習することになったが、そこまではインストラクターがトーイングロープで牽引してくれた!もちろん自分もできる限り漕ぎましたけど。
まず・・・いわきの海に比べたら南国だな!!水温は冷たくないし、波打ち際で水遊びする子供もいた。
更にマリンスポーツの人口の多さに驚いた。
東京での生活で自然を感じる感覚から離れていたので、海の色、風の匂いに、久々に野生の感覚が研ぎ澄まされる!!(笑)
カヤック初体験で緊張するどころか、むしろ海の上こそ自分のホームのような感じでリラックスしている自分がいる!!
そして、風裏となる入り江のようなポイントに到着して、練習開始!!
アドバイスを受けながら、ある程度は自由に漕ぎ、まずは無難にこなすことができた。
更にインストラクターは、カヤックフィッシングのために体験に来たことを酌んでくれ、地元の海の特徴も詳しく聞いてくれて、自分に合った内容をアドバイスしてくれた。
港を横断することもあるだろうと、隣の港の前を使用して横断方法も指導してくれた。
他2名のメンバーの方も、ところどころでアドバイスして下さった。
とても楽しい体験になりました!!
体験してみて、事前のイメージより難しかった面も簡単だった面も色々あって、やっぱり実践が大事ですね。
今回の体験を基に、更にデビュー準備は加速することでしょう。
インストラクターK林さん、ありがとうございました!!
訪問ありがとうございました。
夏まではカヤックフィッシングの準備期間のため釣果的な話題は載せられませんが、購入検討の話題とか陸っぱりからの釣りの話題は載せていきますので、是非お付き合い下さい!
また、プロフィール代わりにと書き溜めておいた約10件の記事を、生い立ちとの件名で3/5に一斉公開しましたので、そちらも遡ってご覧頂けると嬉しいです。
また、アフィリエイトを掲載しております。
実際に使用している釣り具等を宣伝していますので、是非お買い求め下さい
2013年03月17日
パイオニア発見!!
“KF日誌”のカテゴリー名での初投稿ですが、カヤックフィッシング初体験したわけでは、ないです。
予定通り来夏のデビューです。
そのために相変わらず情報収集を続けているわけですが、以前の記事で地元いわきでのシーカヤックフィッシャーが見当たらないことを書きました。
それが…いましたね!!
某いわきの釣り人のブログに載っていました。
ブログの執筆者さま本人ではないようですが、とにかく先駆者がいることがわかりました。
他にもいるかもしれないけど、この方を地元KFのパイオニアと認識させて頂きます。
パイオニア様の自筆のブログはないですかね?
探してみて、参考にできれば助かるな~
でも、これで『パイオニア』の称号は語れなくなった…ちょっと残念(笑)
パイオニア様は昨夏のデビューのようなので、1年遅れで後ろ姿を追い掛けます!!
2013年03月16日
キンモクセイ
『代替エネルギー』の件名では過激な表現もしてしまいました。
お気を悪くされた方がいらっしゃいましたらお許しください。
気持ちを切り替えて落ち着いた話題を。
昨晩の仕事帰り、中華料理屋で夕飯を食べました。
1人での食事だったので色々と考え事もしていました。
ビールを飲みながら水餃子を食べては、双葉郡大熊町の餃子屋を思い出して懐かしんだり・・・
しかし中華料理屋はアルコールの種類が豊富ではないことが多いですよね。
普段はあまり飲まない果実酒の欄に目を向けてみました。
『キンモクセイをロックでお願いします。』
思い出した、ガキの頃の秋の香り!
下校途中でキンモクセイの香りに気付いて秋を感じ、そこでハゼ釣りの季節だと気付く。
そして、週末にはハゼの唐揚げを食べていた。
実に懐かしいことを思い出した!(笑)
こういう感覚は、忘れずにいたいです。
訪問ありがとうございました。
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2013年03月13日
あの日の海、2年後の海
帰省してました。
3/11には、津波で亡くなった同級生の墓参りに行き、帰りに地元の海岸沿いをドライブしました。
まず、震災前後を問わず最近まではどこにでも釣り人がいた海岸沿いが、ロープが張り巡らされて立ち入り禁止となっていました。
震災での地盤沈下と海岸線の浸食が問題視され、防波堤を新設するそうです。
確かに、独特の遠浅の砂浜が、波打ち際は手前まで迫って来ています。
放射能汚染を差し置いたとしても、海水浴には向かない海になってしまったのかもしれない。
どうにか車を停められる場所をみつけ、海風に当たりながら考え事をしてみた。
津波の時には、沖に見えているテトラポットまで潮が引いたらしいこと。
震災で、また、震災後の2年間で、何が変わったのか。
それから、カヤックを始めたら、出艇場所はどうしようか。
真面目な話、楽しい話、悲しい話、色々と頭の中で整理しました。
時々こうして思い出すことが、亡くなった人の供養になる。
悲劇の象徴である海に背を向けず、そこで昔と変わらず遊ぶことが、本当の復興活動。
復興は、まずは1人1人の元気から。
人は、嫌な記憶は無意識に忘れようとする。
けど、それと同時に海の素晴らしさも忘れてしまっている気がする。
俺は忘れないで、ずっと、この海と共にいたい。
このまちと生きる、いつまでも。
3/11には、津波で亡くなった同級生の墓参りに行き、帰りに地元の海岸沿いをドライブしました。
まず、震災前後を問わず最近まではどこにでも釣り人がいた海岸沿いが、ロープが張り巡らされて立ち入り禁止となっていました。
震災での地盤沈下と海岸線の浸食が問題視され、防波堤を新設するそうです。
確かに、独特の遠浅の砂浜が、波打ち際は手前まで迫って来ています。
放射能汚染を差し置いたとしても、海水浴には向かない海になってしまったのかもしれない。
どうにか車を停められる場所をみつけ、海風に当たりながら考え事をしてみた。
津波の時には、沖に見えているテトラポットまで潮が引いたらしいこと。
震災で、また、震災後の2年間で、何が変わったのか。
それから、カヤックを始めたら、出艇場所はどうしようか。
真面目な話、楽しい話、悲しい話、色々と頭の中で整理しました。
時々こうして思い出すことが、亡くなった人の供養になる。
悲劇の象徴である海に背を向けず、そこで昔と変わらず遊ぶことが、本当の復興活動。
復興は、まずは1人1人の元気から。
人は、嫌な記憶は無意識に忘れようとする。
けど、それと同時に海の素晴らしさも忘れてしまっている気がする。
俺は忘れないで、ずっと、この海と共にいたい。
このまちと生きる、いつまでも。
2013年03月08日
魚探&デジカメ
訪問ありがとうございます。
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《本題》
今回は購入検討中の魚探とデジカメの件です。
カヤックフィッシングでは両論あるとは言え、魚探を搭載することが一般的のようですが、自分も魚探は欲しいと考えています。
魚探の役割としては、海底の状態を知ること、魚群を探知すること、艇の位置を把握するGPS機能(機種によりGPS搭載の有無は分かれる)・・・等かと思います。
デジカメは、釣った魚の他にも景色も撮りたいし、動画も撮りたいと考えています。
オリンパスのTGシリーズで検討中ですが、GPS機能付きのモデルも有るようで、画像データとデータを取得した位置情報をリンクして保存?できる?の??
他に、同じタイミングでスマホも購入検討中だけど、スマホにも当然カメラ機能はあるし、狙っているスマホにはGPSとのリンク機能も有る?!
これらを所持して出廷した場合・・・GPS機能搭載の端末が艇の上に3機・・・どういうこと~
お金の節約のためにも本当に全てが必要なのか考えなくては・・・
まず魚探に関しては、当然ながらデジカメとスマホにはない魚群探知機能が有る。
更にGPS機能としては画面の大きさも含めて最も信頼できると思う。
次にデジカメに関しては、これも当然ながらカメラ性能はスマホでは追い付けないわけで、TGシリーズなら水中撮影もできる。
最後にスマホに関しては、カメラ機能もGPS機能も中途半端ではあるかと思う。
魚群探知機能が不要としたら、カメラの性能とGPSの性能の低さを我慢すれば、費用節約と荷物軽減の意味ではスマホオンリーも考える余地はあるのかも!
ただ、どうしてもストレスなく使うには全て揃えることが必要かな・・・
ところでdeeper FISHFINDERを使用している方はいますか?!
この振動子とアプリの使用で、スマホが魚探になります!!
そうするとスマホオンリーでも魚群探知機能も使用可能!!
素晴らしい!!
けど、防水精度的にシーカヤックでは難しいのでしょうか・・・??
う~ん・・・難しいですね・・・
元々が夏前にカヤックフィッシング用具一式を購入する予定で、費用の集中を分散するために夏の間は必要ないと思われるフルドライスーツその他の防寒用品とかは後々揃えたり、タックルとしもまずは既存の物で対応しようと考えているので、例えばまずはスマホ&deeper FISHFINDERで挑戦してみて、後々魚探とデジカメを購入するのも手かなとも思います。
まだまだ(とは言え意外と短いかもしれないけど)準備期間はあるから、落ち着いて悩もうと思います。
このカヤック素人に何かご意見あればよろしくお願い致します。

オリンパスのTG-2はこちら
http://amzn.to/VNbM0K
2013年03月05日
カヤックフィッシング(KF)デビュー準備
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カヤックフィッシングを知ったのが、2012年の秋だった。
まずは疑問だらけだったので、すぐには始められない。
雑誌やPCの画面で色々なカヤックを目にした。
それでもイメージが湧かない面もあったので、東京の友人に会いに行ったついでに、横浜のショップにもお邪魔したりした。
そうこうしていた秋の終わりに、東京への辞令を頂いた。
半年の期限付きで東京の勤務となった。
12~翌5月末までだから、その半年間でカヤックについて学び、道具を買い揃え、戻って来てからの2013年夏のKFデビューを目標に決めた。
KFの諸先輩方のブログ等も参考にしたが、常に地元いわきの海に置き換えて考えなければならなかった。
いわきには、KFをやっている人はいるのだろうか?
いないとも言い切れないが、情報は全くない。
サーファーに混じってカヤックサーフィンをする人の話は聞いたことがあるけど、釣りをしている人の話は聞いたことがない。
とすると・・・自分は地元でのKFのパイオニアか!?なんて考えてニヤけたりもしてしまう。
夏が待ち遠しい。

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カヤックフィッシングを知ったのが、2012年の秋だった。
まずは疑問だらけだったので、すぐには始められない。
雑誌やPCの画面で色々なカヤックを目にした。
それでもイメージが湧かない面もあったので、東京の友人に会いに行ったついでに、横浜のショップにもお邪魔したりした。
そうこうしていた秋の終わりに、東京への辞令を頂いた。
半年の期限付きで東京の勤務となった。
12~翌5月末までだから、その半年間でカヤックについて学び、道具を買い揃え、戻って来てからの2013年夏のKFデビューを目標に決めた。
KFの諸先輩方のブログ等も参考にしたが、常に地元いわきの海に置き換えて考えなければならなかった。
いわきには、KFをやっている人はいるのだろうか?
いないとも言い切れないが、情報は全くない。
サーファーに混じってカヤックサーフィンをする人の話は聞いたことがあるけど、釣りをしている人の話は聞いたことがない。
とすると・・・自分は地元でのKFのパイオニアか!?なんて考えてニヤけたりもしてしまう。
夏が待ち遠しい。
2013年03月05日
ゴムボート
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ルアーが届かない距離のナブラを眺めては、どうすれば釣れるのか考えていた。
父が冗談で、ゴムボートで漕いで行けと言う。
一瞬・・・なるほど!と思ったけど、地元の海岸の波では、ゴムボートは使えないだろうと諦めた。
そんな時にたまたま見ていた釣り番組で、ゴムボートにエレキを搭載したスタイルを目にした。
3.3m以下の船舶に2馬力以下のエンジンであれば免許不要だと、初めて知った。
それと同時に、ゴムボートで海に出ることができるということに驚いた。
それまでは、ゴムボートはバス釣りで使うものだと思っていた。
その番組でのロケ地は穏やかな海だったが、地元の海は湾でもないし、そのままのスタイルでは真似できないだろう。
けれど、このアイディアを基に何か、地元でもできるスタイルを考えようと思った。
まずは情報収集のために、書店に向かった。
そこでみつけた雑誌が“カヤックフィッシング教書”だった。
http://amzn.to/YarBKn
即買い、夢中になって読み漁った。
その日から、カヤックフィッシングについての情報収集が始まった。

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ルアーが届かない距離のナブラを眺めては、どうすれば釣れるのか考えていた。
父が冗談で、ゴムボートで漕いで行けと言う。
一瞬・・・なるほど!と思ったけど、地元の海岸の波では、ゴムボートは使えないだろうと諦めた。
そんな時にたまたま見ていた釣り番組で、ゴムボートにエレキを搭載したスタイルを目にした。
3.3m以下の船舶に2馬力以下のエンジンであれば免許不要だと、初めて知った。
それと同時に、ゴムボートで海に出ることができるということに驚いた。
それまでは、ゴムボートはバス釣りで使うものだと思っていた。
その番組でのロケ地は穏やかな海だったが、地元の海は湾でもないし、そのままのスタイルでは真似できないだろう。
けれど、このアイディアを基に何か、地元でもできるスタイルを考えようと思った。
まずは情報収集のために、書店に向かった。
そこでみつけた雑誌が“カヤックフィッシング教書”だった。
http://amzn.to/YarBKn
即買い、夢中になって読み漁った。
その日から、カヤックフィッシングについての情報収集が始まった。
2013年03月05日
生い立ち⑧夏
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冬の間はスノボで、春先には野球・ソフトボールが忙しかった。
2012年
梅雨が明け、アジ釣りのシーズン。
相変わらず、20cm強のアジが気持ちよく釣れた。
この夏はBBQにもハマった。
職場の先輩・後輩・地元の友達・・・友達の友達は友達の精神で、仲間の輪を広げつつ、釣りをしながらのBBQが恒例となった。
朝の暗いうちから後輩が火起こしをする脇で、アジ釣りの準備をする。
朝ご飯には先輩がフライパンでパスタを作ったくれた。潮風に吹かれながらの朝飯は、最高に旨かった。
肉も焼きながら、アジが釣れれば刺身や塩焼きで食べた。
豆アジやハナダイが釣れれば泳がせて、カンパチやマトウダイも釣っては食べた。
BBQなのに、刺身醤油とニンニクは欠かせなかった。
震災の辛い思い出を忘れられる、非日常の贅沢な休日。
震災の辛い時間を共有した仲間と過ごす、気を許した時間。
みんな、元気な笑顔になって、また来週から仕事を頑張ろうと思えた。
コウナゴやシラスの漁が解禁しないから、いわき沿岸は、言い過ぎかもしれないけどフィッシュイーターの楽園になった。
海岸には連日、鳥山ができて、イワシが打ち上げられていた。
10/20
父からの鳥山の情報で、普段は釣りをしない砂浜に来てみた。
車を止めて海岸線を180°見回すと、確かに鳥山はあった。
それも、岸からのキャストで届きそうな距離に。
ルアーロッドはなかったので、車に積んであった磯竿とメタルジグを持って走った。
サーフでのルアーなどやらないので、ウェーダーもないから裸足で波打ち際に立った。
この年は残暑が厳しかったとは言えもう10月で、足は冷たかったけど。
目を凝らしてナブラを追い、走り寄って思いっきり投げる。
普通に釣れば父の方がウマいが、失礼ながら父にこの釣りはできないだろうと思った。
人並み以上には運動を続けている20代の自分が、息を切らしながら走っていたのだから。
移動し続けるナブラを、ひたすら走って追いかけた。
50~60cmのイナダを8匹釣ったところで、クーラーも閉まらないし、お終いとした。
妹に寿司飯を用意させ、その夜は寿司パーティーだった。
翌日も、翌週も、海岸でナブラを探した。
けれど、ルアーが届く距離には、なかなか近づいて来なかった。
たまたま海を眺めたあの日だけ、運が良かったなと思いつつ、どうにか釣ってやりたいと考えるようになった。


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冬の間はスノボで、春先には野球・ソフトボールが忙しかった。
2012年
梅雨が明け、アジ釣りのシーズン。
相変わらず、20cm強のアジが気持ちよく釣れた。
この夏はBBQにもハマった。
職場の先輩・後輩・地元の友達・・・友達の友達は友達の精神で、仲間の輪を広げつつ、釣りをしながらのBBQが恒例となった。
朝の暗いうちから後輩が火起こしをする脇で、アジ釣りの準備をする。
朝ご飯には先輩がフライパンでパスタを作ったくれた。潮風に吹かれながらの朝飯は、最高に旨かった。
肉も焼きながら、アジが釣れれば刺身や塩焼きで食べた。
豆アジやハナダイが釣れれば泳がせて、カンパチやマトウダイも釣っては食べた。
BBQなのに、刺身醤油とニンニクは欠かせなかった。
震災の辛い思い出を忘れられる、非日常の贅沢な休日。
震災の辛い時間を共有した仲間と過ごす、気を許した時間。
みんな、元気な笑顔になって、また来週から仕事を頑張ろうと思えた。
コウナゴやシラスの漁が解禁しないから、いわき沿岸は、言い過ぎかもしれないけどフィッシュイーターの楽園になった。
海岸には連日、鳥山ができて、イワシが打ち上げられていた。
10/20
父からの鳥山の情報で、普段は釣りをしない砂浜に来てみた。
車を止めて海岸線を180°見回すと、確かに鳥山はあった。
それも、岸からのキャストで届きそうな距離に。
ルアーロッドはなかったので、車に積んであった磯竿とメタルジグを持って走った。
サーフでのルアーなどやらないので、ウェーダーもないから裸足で波打ち際に立った。
この年は残暑が厳しかったとは言えもう10月で、足は冷たかったけど。
目を凝らしてナブラを追い、走り寄って思いっきり投げる。
普通に釣れば父の方がウマいが、失礼ながら父にこの釣りはできないだろうと思った。
人並み以上には運動を続けている20代の自分が、息を切らしながら走っていたのだから。
移動し続けるナブラを、ひたすら走って追いかけた。
50~60cmのイナダを8匹釣ったところで、クーラーも閉まらないし、お終いとした。
妹に寿司飯を用意させ、その夜は寿司パーティーだった。
翌日も、翌週も、海岸でナブラを探した。
けれど、ルアーが届く距離には、なかなか近づいて来なかった。
たまたま海を眺めたあの日だけ、運が良かったなと思いつつ、どうにか釣ってやりたいと考えるようになった。

2013年03月05日
生い立ち⑦天変地異
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次の夏は、確かにやって来た。
だけど、前年の夏とは訳が違っていた。
震災を挟んで、地元の海や釣り事情は大きく様変わりした。
震災を機に再び実家に住むことになったが、しばらくは釣りをする気にはなれなかった。
汚染された海で、食べる楽しみがないのに釣る気にもなれなかったし、たくさんの人を飲み込んだ海に憎しみすら覚えた。
釣りはできない。大好きな野球やサッカーもできない。休日の過ごし方が思いつかない。
自分なりに色々なことを考えては、現実逃避してみたり、本当に腐った状態で数か月を過ごした。
少しずつ、腐った自分に歯止めをかけるためにも、元の生活を取り戻そうと努めた。
まず魚を食べないでも楽しめる釣りとは・・・というわけでエリアフィッシングを始めた。
フライに夢中になり、エリア通いを続けているうちに夏が終わろうとしていた。
そのうち、それまで目をそむけていた海に、目を向ける気になってきた。
海岸沿いをドライブした。
津波の爪痕に言葉を失った。
豆アジを釣った最寄りの港は、沖防のテトラポットに自販機が引っかかっていた。
衝撃を受けながらも、その現実を受け止めようと覚悟を決めた自分もいた。
海釣り再開だ。
放射能汚染と向き合わなければならないわけだが、知識はあったから安心だった。
父は、魚のサンプリング結果をPCでチェックしていた。
8/30
豆アジ釣りに出かけた。
その日は簡単には釣れなかった。
ようやく釣れた1匹を、泳がせてみた。
元々ヒラメがいる港なので、イメージの中にはヒラメしかなかった。
足元に豆アジを落として、竿受けにセットし、更に豆アジを釣ろうと後ろを向いて別な竿を取り、向き直ると・・・泳がせの竿が水面に突っ込んでいる!!
竿受けから外してタモ入れするとヒラメではなく、30cmくらいのカンパチだった。
小さな港の奥までカンパチが入って来るということが、当時の自分の想像の中にはなかったので驚いたが、1匹釣れたら他にもいるだろうということで、まずはエサとなる豆アジを調達しなければ。
港の反対側には釣り人が集まっていて、何やら活気があった。
立て続けに竿がしなっていた。
どうやら1本針に沖アミのウキ釣りでアジを狙っていたオジサン方が、カンパチに次々と仕掛けを切られているようだった。
みんながコマセを巻いているなら豆アジも寄っているかもしれないと思い、近くにお邪魔させてもらった。
トリックサビキにブロックアミを引っ掛けて釣りを始めると、すぐに豆アジが掛かった。
数匹まとめて釣りたかったので、ゆっくり巻き上げて来ると・・・ズキュ~ン!!
サビキに掛かった豆アジに、カンパチが食いついたようで、サビキの針が1本だけ切れていた。
もう一度サビキを投入し、当たったらすぐに回収する。
カンパチに強奪されないように数匹の豆アジを集め、磯竿で泳がせを始めた。
そうしてカンパチの連発が始まり、ワカシも1匹混じって、カンパチは8匹だった。
サイズは25~35cmだった。
刺身や塩焼きで食べた。
震災後始めて、自分で釣った海の魚を食べた。
サンプリング結果から回遊魚は大丈夫というのもあったし、汚染された魚を食べたところでの健康への影響度合いと、食べたい物を我慢する残念度合いを天秤にかけたら、自分は、食べたい物は食べることにした。
自分はアンチ喫煙主義。タバコ1箱のお代でビール飲む方が好き。喫煙に比べたらセシウムなど軽いものだ。
アイナメやドンコは、しばらくは我慢だけど。
その後も毎週、カンパチを釣った。
海に通うようになって、震災前後の海の変化もわかってきた。
とにかく、地盤が落ちている。
満潮になると港の市場前まで水が上がって来る。
水深で1mほど深くなっているようだった。
堤防が崩れたり、テトラが流されているところもあったから、港の内側まで潮通しが良くなっているように感じた。
カンパチが釣れるようになったのも、そういったことが影響しているかもしれない。
また、アジも大きかった。豆アジよりも、塩焼きサイズのアジが釣れるようになった。
まだまだ釣りをする人は、震災前に比べたらかなり少ない時期だったから、混雑していないということでは、快適な釣りができた。
海の変わりようを感じながら、釣りを楽しむ生活が戻ってきた。
堤防でのアジ釣り・泳がせ釣りには第一精工の受〇郎シリーズが重宝します!


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だけど、前年の夏とは訳が違っていた。
震災を挟んで、地元の海や釣り事情は大きく様変わりした。
震災を機に再び実家に住むことになったが、しばらくは釣りをする気にはなれなかった。
汚染された海で、食べる楽しみがないのに釣る気にもなれなかったし、たくさんの人を飲み込んだ海に憎しみすら覚えた。
釣りはできない。大好きな野球やサッカーもできない。休日の過ごし方が思いつかない。
自分なりに色々なことを考えては、現実逃避してみたり、本当に腐った状態で数か月を過ごした。
少しずつ、腐った自分に歯止めをかけるためにも、元の生活を取り戻そうと努めた。
まず魚を食べないでも楽しめる釣りとは・・・というわけでエリアフィッシングを始めた。
フライに夢中になり、エリア通いを続けているうちに夏が終わろうとしていた。
そのうち、それまで目をそむけていた海に、目を向ける気になってきた。
海岸沿いをドライブした。
津波の爪痕に言葉を失った。
豆アジを釣った最寄りの港は、沖防のテトラポットに自販機が引っかかっていた。
衝撃を受けながらも、その現実を受け止めようと覚悟を決めた自分もいた。
海釣り再開だ。
放射能汚染と向き合わなければならないわけだが、知識はあったから安心だった。
父は、魚のサンプリング結果をPCでチェックしていた。
8/30
豆アジ釣りに出かけた。
その日は簡単には釣れなかった。
ようやく釣れた1匹を、泳がせてみた。
元々ヒラメがいる港なので、イメージの中にはヒラメしかなかった。
足元に豆アジを落として、竿受けにセットし、更に豆アジを釣ろうと後ろを向いて別な竿を取り、向き直ると・・・泳がせの竿が水面に突っ込んでいる!!
竿受けから外してタモ入れするとヒラメではなく、30cmくらいのカンパチだった。
小さな港の奥までカンパチが入って来るということが、当時の自分の想像の中にはなかったので驚いたが、1匹釣れたら他にもいるだろうということで、まずはエサとなる豆アジを調達しなければ。
港の反対側には釣り人が集まっていて、何やら活気があった。
立て続けに竿がしなっていた。
どうやら1本針に沖アミのウキ釣りでアジを狙っていたオジサン方が、カンパチに次々と仕掛けを切られているようだった。
みんながコマセを巻いているなら豆アジも寄っているかもしれないと思い、近くにお邪魔させてもらった。
トリックサビキにブロックアミを引っ掛けて釣りを始めると、すぐに豆アジが掛かった。
数匹まとめて釣りたかったので、ゆっくり巻き上げて来ると・・・ズキュ~ン!!
サビキに掛かった豆アジに、カンパチが食いついたようで、サビキの針が1本だけ切れていた。
もう一度サビキを投入し、当たったらすぐに回収する。
カンパチに強奪されないように数匹の豆アジを集め、磯竿で泳がせを始めた。
そうしてカンパチの連発が始まり、ワカシも1匹混じって、カンパチは8匹だった。
サイズは25~35cmだった。
刺身や塩焼きで食べた。
震災後始めて、自分で釣った海の魚を食べた。
サンプリング結果から回遊魚は大丈夫というのもあったし、汚染された魚を食べたところでの健康への影響度合いと、食べたい物を我慢する残念度合いを天秤にかけたら、自分は、食べたい物は食べることにした。
自分はアンチ喫煙主義。タバコ1箱のお代でビール飲む方が好き。喫煙に比べたらセシウムなど軽いものだ。
アイナメやドンコは、しばらくは我慢だけど。
その後も毎週、カンパチを釣った。
海に通うようになって、震災前後の海の変化もわかってきた。
とにかく、地盤が落ちている。
満潮になると港の市場前まで水が上がって来る。
水深で1mほど深くなっているようだった。
堤防が崩れたり、テトラが流されているところもあったから、港の内側まで潮通しが良くなっているように感じた。
カンパチが釣れるようになったのも、そういったことが影響しているかもしれない。
また、アジも大きかった。豆アジよりも、塩焼きサイズのアジが釣れるようになった。
まだまだ釣りをする人は、震災前に比べたらかなり少ない時期だったから、混雑していないということでは、快適な釣りができた。
海の変わりようを感じながら、釣りを楽しむ生活が戻ってきた。
堤防でのアジ釣り・泳がせ釣りには第一精工の受〇郎シリーズが重宝します!

2013年03月05日
生い立ち⑥豆アジ
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※画像は当時の豆アジではないです。
2010年の夏だったか、父と豆アジを釣ったことがある。
※実家は車で40分だったので、予定のない休日は日帰りで帰省することもあった。
普段の父の釣りとしては、イメージになかった釣りだ。
サビキに無数の豆アジが群がる。
堤防に車を横付けして、クロックスを履いて座りながらの釣りの、気軽さが心地よかった。
豆アジを釣っては母に揚げてもらい、ビールを飲んだ。
※家のルールというか、魚は釣った本人が捌き、火を使った調理の段階から母にお願いするのが習慣になっている。
母も魚は捌けるけど、釣りを楽しんで帰って、面倒なところだけ母に任せるのは如何なものか・・・というわけで、父の見よう見まねでいつからか刺身も捌くようになっていた。上手いか下手かは別としてだけど。
豆アジを何度も釣っては持ち帰り、母に揚げてもらった。
揚げたては美味しくて人気メニューだったが、何度も続けば家族も飽きて来た。
もう少し大きな魚ならキャッチ&リリースということにして釣りを楽しむこともできるが、豆アジをキャッチ&リリースというのは・・・そもそも釣らなくていいや、となってしまう。
それで、豆アジは我慢して、また次の夏を楽しみにすることにした。
↓トリック仕掛けはこちら↓
http://amzn.to/ZkPnFR





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2010年の夏だったか、父と豆アジを釣ったことがある。
※実家は車で40分だったので、予定のない休日は日帰りで帰省することもあった。
普段の父の釣りとしては、イメージになかった釣りだ。
サビキに無数の豆アジが群がる。
堤防に車を横付けして、クロックスを履いて座りながらの釣りの、気軽さが心地よかった。
豆アジを釣っては母に揚げてもらい、ビールを飲んだ。
※家のルールというか、魚は釣った本人が捌き、火を使った調理の段階から母にお願いするのが習慣になっている。
母も魚は捌けるけど、釣りを楽しんで帰って、面倒なところだけ母に任せるのは如何なものか・・・というわけで、父の見よう見まねでいつからか刺身も捌くようになっていた。上手いか下手かは別としてだけど。
豆アジを何度も釣っては持ち帰り、母に揚げてもらった。
揚げたては美味しくて人気メニューだったが、何度も続けば家族も飽きて来た。
もう少し大きな魚ならキャッチ&リリースということにして釣りを楽しむこともできるが、豆アジをキャッチ&リリースというのは・・・そもそも釣らなくていいや、となってしまう。
それで、豆アジは我慢して、また次の夏を楽しみにすることにした。
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2013年03月05日
生い立ち⑤ぼっち
20110311
津波で亡くなった同級生、ぼっち。
同じ学校から同じ会社に就職した、ぼっち。
彼との思い出にも、釣りの話がある。
何度か『おい、釣り教えろ!』と迫られながら、ぼっちとの約束を果たせないでいた。
理由は、どうせ教えるなら、できれば釣らせてあげたいと思っていたから。
自分にとっては頻繁に行く中の1回だけど、ぼっちにとっては貴重な1回だ。
それで釣れなかったら、もう釣りに興味を持たないかもしれない。
そう考えると、責任のようなものを感じた。
ある日の午後、1人で富岡港に行き、何匹かのドンコを釣った。
水の色が、何とも言えない、好きな色だった。
こういう色の日は、釣れる気がした。
ぼっちを呼ぼう、そう思い付いた。何故か急にそう思って、実行した。
今からだと帰りは夜になること、釣れるとは限らないことを電話で説明した上で行きたいか聞いてみたら、喜んで乗ってくれた。
ヘッドライトを取りに帰って、ぼっちを拾って請戸港に。
まず手本だと言ってドンコを釣ってみせた。
目の前での釣果に、ぼっちはテンションを上げて、俺に続いた。
そうして、デッカいドンコを釣った。
その時ぼっちが、どう感じたか、どれくらい楽しんでくれたかわからないけど、確かにあの日、日が暮れた請戸港で、ヘッドライトに照らされた竿先に夢中になった、ぼっちと俺がいた。
大事にしたい、貴重な思い出。
津波で亡くなった同級生、ぼっち。
同じ学校から同じ会社に就職した、ぼっち。
彼との思い出にも、釣りの話がある。
何度か『おい、釣り教えろ!』と迫られながら、ぼっちとの約束を果たせないでいた。
理由は、どうせ教えるなら、できれば釣らせてあげたいと思っていたから。
自分にとっては頻繁に行く中の1回だけど、ぼっちにとっては貴重な1回だ。
それで釣れなかったら、もう釣りに興味を持たないかもしれない。
そう考えると、責任のようなものを感じた。
ある日の午後、1人で富岡港に行き、何匹かのドンコを釣った。
水の色が、何とも言えない、好きな色だった。
こういう色の日は、釣れる気がした。
ぼっちを呼ぼう、そう思い付いた。何故か急にそう思って、実行した。
今からだと帰りは夜になること、釣れるとは限らないことを電話で説明した上で行きたいか聞いてみたら、喜んで乗ってくれた。
ヘッドライトを取りに帰って、ぼっちを拾って請戸港に。
まず手本だと言ってドンコを釣ってみせた。
目の前での釣果に、ぼっちはテンションを上げて、俺に続いた。
そうして、デッカいドンコを釣った。
その時ぼっちが、どう感じたか、どれくらい楽しんでくれたかわからないけど、確かにあの日、日が暮れた請戸港で、ヘッドライトに照らされた竿先に夢中になった、ぼっちと俺がいた。
大事にしたい、貴重な思い出。
2013年03月05日
生い立ち④双葉郡
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二十歳で就職を機に、実家を離れて双葉郡に住み始めた。
成人、就職、車も手に入れたし、15歳から離れていた野球も再開して、当然ながら遊び方も変わった。
今までは父や同級生と出掛けていた釣りは、相方がいないことと忙しさから、頻度は減っていった。
でも、4年弱しか住めなかった双葉郡だけど、それでも思い返せば色々な釣りをした気がする。
富岡港ではワームでメバル、ソイ、アイナメ。
地元で覚えたエサ釣りは、富岡港では見かけない釣りだったけど、やっぱりアイナメやドンコは釣れた。
請戸港のハゼはデカくて楽しかった。
原発脇でヒラメの養殖をしていたから、ハゼやメバルの外道で小さなヒラメが釣れたりもした。
たまにはバスも釣った。
父の思い出話から知った坂下ダムにも行った。
桜満開の中で、スプーンで釣れるヤマメは美しかった。
そんな双葉郡での思い出、忘れられない風景、大切な時間、お金じゃ買えない、プライスレス!

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成人、就職、車も手に入れたし、15歳から離れていた野球も再開して、当然ながら遊び方も変わった。
今までは父や同級生と出掛けていた釣りは、相方がいないことと忙しさから、頻度は減っていった。
でも、4年弱しか住めなかった双葉郡だけど、それでも思い返せば色々な釣りをした気がする。
富岡港ではワームでメバル、ソイ、アイナメ。
地元で覚えたエサ釣りは、富岡港では見かけない釣りだったけど、やっぱりアイナメやドンコは釣れた。
請戸港のハゼはデカくて楽しかった。
原発脇でヒラメの養殖をしていたから、ハゼやメバルの外道で小さなヒラメが釣れたりもした。
たまにはバスも釣った。
父の思い出話から知った坂下ダムにも行った。
桜満開の中で、スプーンで釣れるヤマメは美しかった。
そんな双葉郡での思い出、忘れられない風景、大切な時間、お金じゃ買えない、プライスレス!
2013年03月05日
生い立ち③アイナメ
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中学の後半は、勉強から逃げるように、部活と釣りの毎日だった。
中学を卒業してからは、自分でルアーロッドや磯竿を買い、色々な釣りに興味を持った。
お気に入りは、父に教わったアイナメ釣り。
5mの磯竿で、テトラポットの際に、重りと針だけのシンプルな仕掛けで、エサを落とす。
魚に食わせるまででも、父のアイナメ釣りには深いノウハウがあった。
魚が掛かれば、穴に潜られないように、5号の糸で引っこ抜く。
40cmのアイナメともなると、強烈な突っ込みに興奮させられた。
その頃、ルアーロッドも買った。
ライトなタックル。
4lbのラインに、ジグヘッドやスプーンで、ウグイ、メバル、バスなんかを釣った。
lb…ポンドという単位は、釣りで覚えた。
1号の糸の強さはは約4lbで、1号の錘は約4gだと知った。
1ozは28g、1ft=12in=30.48cm…タックル選びは、算数みたいだった。
http://amzn.to/ZkOfBT

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中学を卒業してからは、自分でルアーロッドや磯竿を買い、色々な釣りに興味を持った。
お気に入りは、父に教わったアイナメ釣り。
5mの磯竿で、テトラポットの際に、重りと針だけのシンプルな仕掛けで、エサを落とす。
魚に食わせるまででも、父のアイナメ釣りには深いノウハウがあった。
魚が掛かれば、穴に潜られないように、5号の糸で引っこ抜く。
40cmのアイナメともなると、強烈な突っ込みに興奮させられた。
その頃、ルアーロッドも買った。
ライトなタックル。
4lbのラインに、ジグヘッドやスプーンで、ウグイ、メバル、バスなんかを釣った。
lb…ポンドという単位は、釣りで覚えた。
1号の糸の強さはは約4lbで、1号の錘は約4gだと知った。
1ozは28g、1ft=12in=30.48cm…タックル選びは、算数みたいだった。
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2013年03月05日
生い立ち②延べ竿
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中学に進んで、1年の秋だったか・・・弟と2人きりで留守番をすることがあった。
当時は曾祖母も健在で8人家族だったので、子供だけで留守番というのも珍しかったし、弟と2人きりというのは、もしかしたら初のことだったかもしれない。
退屈だったのか、ふと弟が「お兄ちゃん、釣りに行こうよ。」と言った。
自分の返事が渋々だったかまでは覚えてないけど、とりあえず弟に付き合った。
自転車で行ける距離の農業用の貯水池(堤)で、ミミズを使った釣りだった。
幼い頃に父と連れられて釣りに行った時には、仕掛けは用意してもらえていたので当然、自分では何もできない。
ミミズをつけるところまで、弟にやってもらったのかもしれない。
結果は、釣れず。
ただ、ウキがピクピク動くのを見ているだけで妙にワクワクして、間違いなく、その日が自分の中での“釣りを始めた日”になった。
後日、父が釣竿を買い与えてくれた。
3.3mの延べ竿だった。
それからは毎週末、ミミズを買って自転車を乗り回し、とにかくウキを見つめては目を輝かせていた。
昔と違って、父が釣り方を教えてくれるようになった。
仕掛けの結び方、ミミズが底を這うようにウキ下を調整すること。
延べ竿・ミミズ・自転車…色々な魚を釣った。
フナ、オイカワ、クチボソ、ナマズ、コイ、ウナギ、ハゼ、マルタ、ウグイ、アブラハヤ、ヤマメ…時には、ルアーを投げる同級生の隣で、バスまでミミズで釣ったりした。
その頃に道糸に使っていた銀鱗1号が、その後の釣りでも、基準のようなものになった。
1号の糸で切られずに釣り上げることが出来た魚たちを思い浮かべては、また1号の糸で他の釣りに挑戦した。

東レインターナショナル(TORAY) 銀鱗レッツ1号

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当時は曾祖母も健在で8人家族だったので、子供だけで留守番というのも珍しかったし、弟と2人きりというのは、もしかしたら初のことだったかもしれない。
退屈だったのか、ふと弟が「お兄ちゃん、釣りに行こうよ。」と言った。
自分の返事が渋々だったかまでは覚えてないけど、とりあえず弟に付き合った。
自転車で行ける距離の農業用の貯水池(堤)で、ミミズを使った釣りだった。
幼い頃に父と連れられて釣りに行った時には、仕掛けは用意してもらえていたので当然、自分では何もできない。
ミミズをつけるところまで、弟にやってもらったのかもしれない。
結果は、釣れず。
ただ、ウキがピクピク動くのを見ているだけで妙にワクワクして、間違いなく、その日が自分の中での“釣りを始めた日”になった。
後日、父が釣竿を買い与えてくれた。
3.3mの延べ竿だった。
それからは毎週末、ミミズを買って自転車を乗り回し、とにかくウキを見つめては目を輝かせていた。
昔と違って、父が釣り方を教えてくれるようになった。
仕掛けの結び方、ミミズが底を這うようにウキ下を調整すること。
延べ竿・ミミズ・自転車…色々な魚を釣った。
フナ、オイカワ、クチボソ、ナマズ、コイ、ウナギ、ハゼ、マルタ、ウグイ、アブラハヤ、ヤマメ…時には、ルアーを投げる同級生の隣で、バスまでミミズで釣ったりした。
その頃に道糸に使っていた銀鱗1号が、その後の釣りでも、基準のようなものになった。
1号の糸で切られずに釣り上げることが出来た魚たちを思い浮かべては、また1号の糸で他の釣りに挑戦した。

東レインターナショナル(TORAY) 銀鱗レッツ1号
2013年03月05日
生い立ち①ダボハゼ
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はじめまして☆
KF=カヤックフィッシングのデビューに向けて、準備中の者です!(b^ー°)
まずは自己紹介を兼ねて思い出話から。
釣りが趣味になったのは、釣り好きな父の影響が大きかったと思う。
幼い頃、幼稚園だったか小学校低学年だったか、父に連れられてハゼ釣りやナマズ釣りをしたことを覚えている。
どちらもどの程度を自分でこなしていたか記憶が定かではないけど、ハゼ釣りでは、父が目を離しても弟と交替でエサ付け~針外しまで出来ていたような気もする。
父が漕ぐカヌーで橋桁に渡ったことも、印象に残っている。ナマズ釣りは、父が掛けた竿を渡してもらって、タモ入れまでしてもらっていたと思う。
ただ、楽しかったのかと言うと、今のように自分で考えて釣っているわけではなかったし、子供だから当然、飽きちゃうことも。
釣れなければ退屈だし、釣れ続いても飽きるし・・・そんなわけで、いつからか釣りには興味もなくなっていた。
小学校高学年の頃には、確かバスフィッシングがブームになっていた。
2歳下の弟もバスフィッシングをするようになり、元々バスは釣らない父と、2人で出かけることが多くなった。
自分はと言うと、友達と野球してる方が楽しかった頃だったと思う。

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KF=カヤックフィッシングのデビューに向けて、準備中の者です!(b^ー°)
まずは自己紹介を兼ねて思い出話から。
釣りが趣味になったのは、釣り好きな父の影響が大きかったと思う。
幼い頃、幼稚園だったか小学校低学年だったか、父に連れられてハゼ釣りやナマズ釣りをしたことを覚えている。
どちらもどの程度を自分でこなしていたか記憶が定かではないけど、ハゼ釣りでは、父が目を離しても弟と交替でエサ付け~針外しまで出来ていたような気もする。
父が漕ぐカヌーで橋桁に渡ったことも、印象に残っている。ナマズ釣りは、父が掛けた竿を渡してもらって、タモ入れまでしてもらっていたと思う。
ただ、楽しかったのかと言うと、今のように自分で考えて釣っているわけではなかったし、子供だから当然、飽きちゃうことも。
釣れなければ退屈だし、釣れ続いても飽きるし・・・そんなわけで、いつからか釣りには興味もなくなっていた。
小学校高学年の頃には、確かバスフィッシングがブームになっていた。
2歳下の弟もバスフィッシングをするようになり、元々バスは釣らない父と、2人で出かけることが多くなった。
自分はと言うと、友達と野球してる方が楽しかった頃だったと思う。