2013年03月05日
生い立ち②延べ竿
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中学に進んで、1年の秋だったか・・・弟と2人きりで留守番をすることがあった。
当時は曾祖母も健在で8人家族だったので、子供だけで留守番というのも珍しかったし、弟と2人きりというのは、もしかしたら初のことだったかもしれない。
退屈だったのか、ふと弟が「お兄ちゃん、釣りに行こうよ。」と言った。
自分の返事が渋々だったかまでは覚えてないけど、とりあえず弟に付き合った。
自転車で行ける距離の農業用の貯水池(堤)で、ミミズを使った釣りだった。
幼い頃に父と連れられて釣りに行った時には、仕掛けは用意してもらえていたので当然、自分では何もできない。
ミミズをつけるところまで、弟にやってもらったのかもしれない。
結果は、釣れず。
ただ、ウキがピクピク動くのを見ているだけで妙にワクワクして、間違いなく、その日が自分の中での“釣りを始めた日”になった。
後日、父が釣竿を買い与えてくれた。
3.3mの延べ竿だった。
それからは毎週末、ミミズを買って自転車を乗り回し、とにかくウキを見つめては目を輝かせていた。
昔と違って、父が釣り方を教えてくれるようになった。
仕掛けの結び方、ミミズが底を這うようにウキ下を調整すること。
延べ竿・ミミズ・自転車…色々な魚を釣った。
フナ、オイカワ、クチボソ、ナマズ、コイ、ウナギ、ハゼ、マルタ、ウグイ、アブラハヤ、ヤマメ…時には、ルアーを投げる同級生の隣で、バスまでミミズで釣ったりした。
その頃に道糸に使っていた銀鱗1号が、その後の釣りでも、基準のようなものになった。
1号の糸で切られずに釣り上げることが出来た魚たちを思い浮かべては、また1号の糸で他の釣りに挑戦した。

東レインターナショナル(TORAY) 銀鱗レッツ1号

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当時は曾祖母も健在で8人家族だったので、子供だけで留守番というのも珍しかったし、弟と2人きりというのは、もしかしたら初のことだったかもしれない。
退屈だったのか、ふと弟が「お兄ちゃん、釣りに行こうよ。」と言った。
自分の返事が渋々だったかまでは覚えてないけど、とりあえず弟に付き合った。
自転車で行ける距離の農業用の貯水池(堤)で、ミミズを使った釣りだった。
幼い頃に父と連れられて釣りに行った時には、仕掛けは用意してもらえていたので当然、自分では何もできない。
ミミズをつけるところまで、弟にやってもらったのかもしれない。
結果は、釣れず。
ただ、ウキがピクピク動くのを見ているだけで妙にワクワクして、間違いなく、その日が自分の中での“釣りを始めた日”になった。
後日、父が釣竿を買い与えてくれた。
3.3mの延べ竿だった。
それからは毎週末、ミミズを買って自転車を乗り回し、とにかくウキを見つめては目を輝かせていた。
昔と違って、父が釣り方を教えてくれるようになった。
仕掛けの結び方、ミミズが底を這うようにウキ下を調整すること。
延べ竿・ミミズ・自転車…色々な魚を釣った。
フナ、オイカワ、クチボソ、ナマズ、コイ、ウナギ、ハゼ、マルタ、ウグイ、アブラハヤ、ヤマメ…時には、ルアーを投げる同級生の隣で、バスまでミミズで釣ったりした。
その頃に道糸に使っていた銀鱗1号が、その後の釣りでも、基準のようなものになった。
1号の糸で切られずに釣り上げることが出来た魚たちを思い浮かべては、また1号の糸で他の釣りに挑戦した。

東レインターナショナル(TORAY) 銀鱗レッツ1号
Posted by いわき2011 at 22:46│Comments(0)
│回想@思い出
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