酔っぱらいの主張!

いわき2011

2015年03月06日 23:45



こんばんは。
冬眠を忘れたまま春を迎えつつある東北人です。
もう春です。
そろそろビールが美味しい季節です。

20代前半の頃に、よく飲みにお供させて頂いた先輩方の中に2名ほどビール党がいました。
そのビール党先輩2名は、僕に「メニュー取って!」と言いながらも、結局はビールを注文するのが常でした。
いつからか僕は、そのビール党先輩2名から「メニュー取って!」と言われると、黙って勝手にビールを注文するようになっていました。
5年以上だか過ぎた今・・・僕が後輩から同じような扱いを受けるようになりました。
いや、酒はなんだって好きなんですが。
コンビニで安く飲みたい時は300円のワイン・・・冬のアウトドアにはスキットルにウィスキー・・・夜勤前の寒い日中なら焼酎をロックで・・・お気に入りの刺身が美味しい某店では日本酒・・・そして先輩の同級生が営むバーでは各種カクテルと、バーボン!

何が言いたいかと言うと・・・
この酒好きが日勤勤務をするのは、体に良くないですね。。。
残業なければ18:30前には帰宅できます。
夕飯が完成するまでの30分はビールです。
夕飯を食べながらも呑み、風呂上りにも呑み・・・

元々の交替勤務だと、昼の勤務の日は帰宅が22:30頃でした。
もう風呂に入って寝るだけなので、缶ビール1本くらいしか時間がないわけです。
それが今は、もうヒマを持て余してる感じ。
だから週に1回くらいは同僚たちと飲みに出てしまうけど。
他の日は慣れないテレビを見ながら、部屋でウイスキー飲んでる。
交替勤務の時は連続ドラマ観れなかったし、そもそもテレビ見てる時間あったら動きたい質のため、ホント親よりも芸能事情なんかも疎いくらい。

それが、年明けから日勤勤務になってしまいまして・・・今までのように夜勤前の午前中とか、平日の夜勤明けとか、海に行ける時間が見当たらない。
土日しか休めないって・・・もちろん交替勤務は体力的にはキツイけど、僕のような遊び人には、合ってました。
人事関係のウワサでは、4月に交替勤務に戻れそうな気はしてるけど。
で、夜のこの時間にヒマがあると、下らないことでもブログに書きたくなりますね。

以前に、ブログのカテゴリーから外れた話題は書きたくない、との発言をしました。
このブログはカヤックフィッシングブログですが、今回は暇を持て余している現状の捌け口として、そこそこ外れた話題にもお付き合い下さい。
酷く言えば、単なる独り言みたいな文章ですが。



開高健と言う作家がいました。
父が若い頃にお会いしたことがあるようで、ガキの頃から度々思い出話として聞かされていたため、名前は聞き慣れていました。
その開高さんのファンらしい方と知り合うことが最近あり、それをキッカケに父に詳しい話を聞いてみました。
わざわざブログに書くようなことでもないけど、自分のこと以外はすぐに忘れる性格のため、何度も父に聞くのも申し訳ないため、ここに記録として残させて下さい。

父はガキの頃からの釣りバカだったようで・・・実はカナディアンカヌーにも乗っていました。
今となっては庭の片隅で雨に打たれるまま何年も放置されていますが、僕もガキの頃に、何度か漕がせてもらったことがあります。
僕が学生時代に釣りを始めた頃に、ある新聞記事を手に父が上機嫌で話しだしました。
その記事は、僕も陸っぱりからヤマメを釣った事がある、とあるダムが舞台でした。
記事の筆者は、そのダムで陸っぱりからイワナ・ヤマメを釣った思い出を書いていたようでした。
そこに、カヌーでルアーフィッシングをしていた人が、大漁のイワナ・ヤマメをぶら下げて着岸した・・・
と言った記事でした。
それを父は「この当時に〇〇〇までカヌーを運んで釣りをしたようなヤツはいなかった。間違いなくこれは俺だ。」と言います。

人の後ろを歩かないと言うか・・・誰もやってなかったことでも手を出してしまう気性は、父譲りだったのかも。
そんな父なので、まだ田舎までルアーフィッシングなる釣り方が浸透していなかった当時から、ルアーをキャストしていたようです。
まだまだ地元の釣具屋では道具が揃わなかった話を聞いていると、この田舎でカヤックフィッシングを始めた自分と境遇が似ているなと感じます。

そんな父は、とあるルアー会社に連絡してルアーを購入するようになったのだとか。
そこの社長と交流を持つようになり、社長が設立したクラブにも加入したらしい。
するとなんと、そのクラブの名誉会長として繋がることが出来たのが、開高健さん。
クラブの釣り大会で一度だけお会い出来た時の事が、僕が何度も聞かされている思い出話のことでした。

当日は某湖で2名1組でボートに乗り込むことに。
その組み合わせで、社長から言われたのが「開高さんと乗って下さい。」
開高さんの釣りの印象を聞くと父の口から出てくるのは釣り云々ではなく、とにかくブツブツ言いながら釣りをする方だったと。
当時、父は20代前半の若者だったようで、大物と時間を共にすることが出来たことは、とても強烈な思い出だったのだと思います。
その夜は旅館で酒盛りだったようですが、有名なサントリーのCMに出演していた方ですから・・・宴会場にはサントリーのビールやウイスキーが大量に並んでいたとか。

いつもここで、父の思い出話は終わります。

そうして別の思い出話を、酔った父は語り出すわけですが、20代の頃は淡水でのトラウトなんかが多かったのかな?
との印象を受けています。
強行日程で中禅寺湖に通ったとかの話です。
当然ルアーも多かったと思うけど、当時からフライもやっていたのかな?
僕が就職した当時に父からお下がりを受けたまま8年も乗っている愛車には、父が乗っていた当時のステッカーが1種類だけある。
それもフライ関係のステッカーだ。
それから、僕が新しいジャンル釣りに挑戦する時には大概、父はアドバイスしてくれるが、フライを始めた時が最も積極的に教えてくれた気がする。
たぶん父は、自分で意識しているかは別として、フライフィッシングが最も好きなんじゃないかと思う。

僕はフライと言えば、管理釣り場のみ。
でもその時も、使うフライは父が巻いてくれたもの。
マテリアルを買って来て渡すと、イヤな顔せず巻いてくれる。
本人には聞いたことはないけど、最も好きな釣りは?と聞けばフライと答えそうな気がする。
その父に、先ほど新しいフライをリクエストした。
シーバス用のフライ。
三番瀬と、夏のリバーシーバスと、シラスパターンのワカシと遊ぶため。
管釣りでしかフライやったことないからヘタクソだけど、今年は遊び心を出してみようと思いまして。



話は変わります。
このブログも役に立ち、地元のパドルスポーツの愛好者と知り合うことが出来ています。
今度、一緒に漕ぎましょうとなりました。
それはとても嬉しいこと。
自分が大好きな遊びを通じて輪が広がるのであれば、それはいつか、自分の居場所になってくれる。
そう思い描いています。

約束した出艇場所は河川の下流域ですが、そこでも待ち合わせ時間まで釣りをして待てないかと考えてしまうのが・・・釣りバカの性です。
何が釣れるだろう・・・と考えていると、ある光景が蘇りました。
父と僕と弟、それにイトコとイトコの父(父の弟と、その息子)の5人で竿を振った、ある冬の光景。
イトコの父は釣りはしないため、父の竿を借りて付き合ってくれたのだと思う。
とても貴重なメンバーでの釣りだった。
狙う対象魚は、マルタ。
冬のある時期、地元の川の下流域には、50cm前後のマルタが溜まる。
今となっては鵜の被害で数が減ったり、マルタがルアーに擦れたりで、マルタ釣りをする人はいないかもしれないが、当時は頻繁に通った気がする。
恐らく自分は釣りを始めた頃で、父に買ってもらった延べ竿1本しか持っておらず、小鮒やナマズをミミズで釣ることしか出来なかった。
たまに父に誘われた時には、父のルアーロッドを借りて、慣れないルアーをキャストして・・・結び方も慣れないから、キャストの瞬間に弟のルアーを飛ばして怒られたり・・・
今度、久しぶりにマルタを釣ってみたいと思う。



またまた話は変わる。
カヤックトローリングについて。
確かこのブログの説明文にもトローリングと書いていたような・・・
それが、昨シーズンは、覚えている限りではトローリングでGET出来たのはシーバス2匹のみじゃないだろうか。

カヤック仲間のF氏と知り合ったのが、昨シーズンの夏前だった。
始めて一緒に出艇した時には、自分のトローリングと言う釣り方に対して、F氏は半信半疑だったと思う。
出艇場所から出て、目標の離れ島まで漕ぎ出して、まずはF氏はトローリングはしていなかったと思う。
当時の僕はトローリングに好印象を持っていたため、移動の間ももったいないと思い、当然トローリングをする。
お気に入りのリップインベイトで。
すると、ジッジー!!
ドラグが鳴る瞬間が、この釣りの醍醐味?
続けざまに2匹のシーバス。どちらも70cm前後だった。
それを目の当たりにしたF氏も、トローリングを始めて同サイズのシーバスをGET。

たぶん・・・F氏がトローリングを好きになった瞬間だったのかなと思う。

そうして2人で出艇することも増え、一夏が過ぎた。
思い返すと・・・トローリングはF氏の釣りになっていた・・・
どうも、自分は段々トローリングに良い印象を持てなくなり、反面F氏は順調にトローリングで拾う。。。
不思議と、自分が勧めた釣り方を本人はやらなくなり、F氏はすっかり自分のモノとしている・・・悔しい。。。笑

思い返すと、F氏と出会った当時は、夏前をトローリングで過ごそうと思っていた。
前年にカヤックフィッシングを始め、1シーズン目は全てイナワラだったが、半数をトローリングで釣っていた。
魚探も持たずに鳥山を目で追う釣り方。
スポーツのように体力を要する釣り方。
とにかく漕いで漕いで、鳥山を追い回していた。

冬になりカヤックを出さない日が続き・・・再開したのはGWだった。
夏になれば再び、鳥山を追うことになる。。。
そう思うと、漕ぐ体力を戻すために、青物シーズン前まではトローリングをメインでやり通すことにした。
が・・・なんと・・・先ほどのF氏との初同行の日の帰り際だが、なんと沖で鳥山が立ち、がむしゃらパドリングした僕は、ワラサをヒットさせた・・・
ランディングでバラシてしまったが、想定外に、5月の東北にワラサがいた。

もう自分の計画は壊れた。
いるなら、追うでしょ。
そうして、トローリングでも体力増強期間をスルーしたまま、一夏を過ごしてしまった。
というわけで、未だにカヤック初年度のような体力は戻らず、トローリングをやることすら億劫に感じてしまう。
実は、釣れるのだろうけど。

なぜ釣れるのだろう?
恐らくジャークの動き。
ジャークはナゼ釣れるのか?
ベイトボールは、捕食者から逃げる時・・・あ、想像すると、確かにジャークの動きしてる気がする。
このことは、ある時に弟に力説されてから覚えている。
弟はバスもシーバスも、トゥイッチやジャーク等の、とにかくアクションで釣っている印象を受ける。

で、カヤックでのトローリングは、結局ジャークの動きになる。
カヤックデビュー直後のある時に、スーパーボイルの真ん中に飛び込むことが出来た。
ナブラが続く水面にどれだけキャストしても、不思議とバイトは得られない。
諦めてトローリングしながら帰ることにすると・・・ジジー!!
50~55cmサイズのイナダが簡単にヒットする。
でも、キャスティングに戻すと、素通りされる。
なぜ?
考えて、ルアーのアクションを、トローリングをイメージしたものに真似てみることにした。
パドルを右、左、右・・・と漕ぐリズムで、ジャーク、ジャーク、ジャーク・・・1投目からヒットした。
釣りってこんなもん?
ルアーの動かし方1つで、0が100になることもある。

その日から、トローリングにハマったんだった。
漕ぐスピード・リズムで、その日のイナダのご機嫌に合わせる。
今シーズンは、またそんな釣りをやってみようかなと思うようになった。



ダラダラ書いてしまったが・・・
最後に、このところ考えていることがある。
チャリティーイベントをやりたい。
何かの役に立ちたい。
まだまだ夢物語の域に過ぎないけど・・・
いつか、小名浜港の堤防を、にぎやかにしてみたい。

震災の年の夏に、夜通しBBQをしたことがある。
釣り仲間と、釣りはしない友人と、彼らの友達と・・・10人くらい集まったかな。
魚を捌ける人間が自分を含め3人もいたから、次々釣れるアジ・サバを塩焼き、アジのタタキ等で食べまくった。
今では信じられないけど、当時の海には本当に、人がいなかった。
誘ったけど、海が怖いとの理由で参加できない友人もいたくらいだ。

だけど、海に背を向けていたって何も元通りには近づけない。
海がない生活では、元の自分ではない。
海に元気がない小名浜は、小名浜じゃない。
そう思って、何かに負けないように海に向かった、バカみたいな俺と、賛同してくれた仲間たち。

それが、復興に向かって頑張る気持ちを知った、初めての出来事だった。
それまでは、俺も腐っていたから。
大好きな釣りも、野球もサッカーもやめて、ふさぎ込んでたから。

そんな時に、地元に“かりゆし58”が来た。
自分は音楽は嫌いではないし、カラオケにも行くけど、ライブには行ったことがなかった。
たまたま都合が悪くなった友人から前売り券を譲り受け、参戦した。
そこで、被災した福島県を唄った“このまちと”を聴いた。
衝撃だった。
そこに住んでいる当事者たちが不貞腐れているのに、余所から来て、こんなにも応援してくれる人たちがいる。

今では“かりゆし58”の“心に太陽”を口ずさみながら、あの日は憎しみすら覚えた海の上に浮くことが出来る。
一歩ずつ進んでいきたい。

あ、自分は何か、気持ちを入れ替えて前を向くことが出来たんだな、そう思ったら、まだ切り替えられてない人の、手助けをしたいと思うようになった。
ちょっと前までは、自分も落ち込んでいた。
だったら、まだ落ち込んでいる人たちの気持ちは、俺にだってわかる。
俺は前を向けた、だったら他の人たちも、キッカケがあればどうにかなれるんじゃないか、と考えるようになった。



チャリティーイベントとは大それた事を言うけど、妄想は膨らむ。
自分の力では実現は難しいけど、このアイディアを酌んでくれて、実行してくれる人がいたらいい。
その時には、俺は協力を惜しまない。

例えば・・・某チャリティーフィッシングなるイベントからヒントを得たことではあるけど・・・小名浜港内を貸し切って、カヤックフィッシング大会を開催する。ーに
地元のカヤックアングラー人口では大会が成り立たないから、必然的に関東方面のカヤックアングラーにも参加を募ることとなる。
なぜ小名浜港か・・・
西の方の某港では毎年KF大会が開かれているようだが、そもそも漁師さんから煙たがられるカヤック・・・大会を開くために港を貸し切るだけでも相当の苦労があると思う。
それが今の地元なら・・・本格的な漁をしていないのだから、比較的、実現しやすいのでは?
それで、釣った魚は市場(らら・ミュウ?)に卸して現金化し、小名浜の漁協に募金する。

ただ・・・小名浜は商業港だ。
漁をしなくとも、商業船の出入りは激しい。
だったら、サンマリーナを使えないか。
そんなとこまで考えてしまう。

現金化の件では、売らずに自分たちで調理してもいい。
何か客を集める手段を考えて、魚料理を振る舞って代金を募金とする。
“かりゆし58”さん来てくれないかな・・・きっとちゃんとした団体が企画するイベントなら可能性はある気がするけど、個人じゃ難しい。
もし有名アーティストが来たとしたら、沖防をステージとして・・・これは変か?
前売り件を提示して渡し船に乗って、沖防で盛り上がる。
乗船のためのライフジャケットは釣り具店に協賛を募る。
アウトドアをしない一般客も、ライフジャケットを手に入れたのをキッカケに、海に足を運ぶようになるかもしれない。
陸続きの堤防では、チケットを買えなかった客のためにモニターを用意し、その前では地元の飲食店に協賛を募って出店してもらい、売上を募金してもらう。

全ての募金は漁協へ・・・
その発端がKFアングラーのブログだとなれば、地元漁師さんたちのカヤッカーに向ける視線もいくらか優しくなるかもしれない(笑)

こんな夢物語を、酔っぱらった勢いで書いてみました。
そういえば飲んでいたのは、サントリーのウイスキーでした。
なぜか、開高さんのCM風景だけは思い浮かべることが出来る。
俺がガキの頃にも放送されてたのかな?

あ、明日はスノボで早起きだった・・・
やべぇな、もう寝ます、おやすみなさい!



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